本当は今回から「リノベーションプランをどう練ったか」という話を書く予定でした。
でも、その前にどうしても書き残しておきたいことがあります。
「家づくりって、そもそも何なの?」
古民家を買ってリノベを終えた今だからこそ、当時の違和感と、暮らし始めてからの実感を並べておきたい。プランの詳細を書く前に、少し遠回りして、自分が家に求めていたものを残します。
家づくりへの違和感
もともと私は家に強い関心があったわけではありません。インテリア雑誌もまともに読んだことがないし、ひとり暮らし時代は「テレビゲームが友達」と思っていました。
ただ、年齢を重ねると、避けられないテーマが出てきます。パートナーとの暮らし、子どもが生まれる未来、両親の老後……。そうやって「人生のこれから」を考え始めると、「家」という存在も避けては通れなくなる。
家を考え始めたとき、私は説明書を最初にさらっと読むタイプなので、家づくり系のブログを読み始めました。しかし、読めば読むほど「なんか違うな」という気持ちが強くなりました。
- 「ここが1ミリずれていたので烈火のごとくクレーム!」
- 「修正されたので大満足!皆さんもこう言えばいいですよ」
いやいやいやいや、家づくりってそういうもの?
なんだか家を育てるのではなく、商品にクレームを入れて返品交換する感覚に見えてしまったのです。
「効率的な家事動線」や「帰宅動線にこだわった結果、子どもが自分で片付けと手洗いまでできる!」なんて書き込みも多かった。もちろん便利だし、実用的です。
でもさぁ、ねぇ。
「それが家の本質なのか?」と考えたときに、妙な空虚さを覚えました。子どものうちから効率だけを教えたいわけではない。そういうことではないと分かっているんですけど、でもなー。
私の子ども時代を振り返ると、印象に残っているのは家そのものではなく、そこに刻まれた痕跡でした。
柱に鉛筆で刻んだ背の高さ。庭で作った秘密基地。木登りして怒られた夏の日。スイカの種飛ばし大会。じいじやばあばと遊んだり、畑に行った記憶。
だから、壁に落書きして親が烈火のごとく怒る記事を見たときも、違和感しかなかった。壁なんて消せばいい。むしろ残した方が思い出になるかもしれない。
リノベを終えた今なら、もう少し冷静に説明できます。
新しく張り替えた壁や床。そこに子どもが落書きしたら……激怒はしません。けれど心の奥では確実に落胆します。やっぱり「せっかくきれいにしたのに」という気持ちは出てしまう。
一方で、古民家に元々ある柱や梁に落書きされても、全く気にならない。「もともと古いから」「もう傷だらけだから」という理由で、ふーんで済んでしまう。
つまり、古民家は「汚れてもいい余白」を最初から持っている。これが暮らしの中で想像以上の安心感になっています。
もちろん、古民家なら何でも許せるわけではありません。雨漏りや構造、水回りの問題は、思い出として眺めていれば済む話ではない。古継邸も、リノベーション前には手を入れる場所がいくつもありました。
それでも、直すべきところを直したうえで、暮らしの傷まで敵にしなくていい。私が言う「余白」は、たぶんそのくらいの意味です。
庭の話も同じです。家づくりの話を読んでいると、「BBQの煙でクレーム」「子どものボール遊びがうるさい」など、制約だらけのエピソードが並んでいました。
でも、庭ってそういうもの?
私にとっての庭は、もっと奔放で、不完全で、笑いにあふれる場所でした。子どもが秘密基地を作って壊れて怒ったり、木登りして擦り傷を作ったり、夏休みに水浸しになったり。
効率的な動線も大事かもしれないけど、思い出の濃度を上げるのは「不便さや失敗」を許す余裕なんですよね。
古民家の余白と家の価値
もう一つ、大きな違和感は「新築信仰」と「資産価値」でした。
何千万円もかけて建てた家も、最初の一歩を踏み入れた瞬間には中古になる。
日本の住宅は、建物の評価が築年数や状態に左右されます。新築時の価格が、そのまま将来の価値として残るわけではない。
そう考えると、ローンを払い終える頃には、建物の評価がほとんど残らない可能性もある。子どもに残すつもりが、維持費だけかかる「負動産」になることもある。
古民家を選んだ理由は、資産価値で勝てると思ったからではありません。むしろ、最初から市場評価だけで家を見ていなかったから、値下がりへの不安から少し距離を取れた。暮らすほどに味が出るというのも、売買価格の話ではなく、家族の記憶が積み重なるという意味です。
リノベを経験した今、私の答えははっきりしています。家は商品ではなく、家族の舞台であるべきだと。
もちろん、ズレを直さなくていいという話ではない。商品として完璧を求めれば、1ミリのズレでも烈火のごとく怒ることになる。舞台として受け止めれば、多少の汚れやズレは「物語の一部」として残せる。
家族の笑い声や喧嘩の声、泣き声が家に残る。家は舞台で、主役はそこで暮らす人たちです。
家を消費しないこと。
流行や効率だけを追いかけて使い捨てるのではなく、時間や傷や落書きまで、暮らしの一部として引き受けていく。古継邸の柱や梁を眺めながら、私はそう思っています。
家の価値は、そのあとについてくる。
